レイキの歴史


レイキという言葉は古くから日本にあり、中国でいう「気」(目に見えないエネルギー)を表す言葉です。

19世紀、「臼井霊気療法学会」創始者・臼井甕男氏(うすいみかお 1865~1926岐阜県出身)によって改めて臼井レイキ法と名付けられました。

「霊」=霊験あらたか、聖なる、目に見えない「気」=エネルギー という意味です。

臼井氏は大正11年(1922)、京都の鞍馬山にて断食修行中、21日目にして「一大霊氣」に触れ感応し、悟りを開かれました。

また、同時期に治癒霊能力(ヒーリングパワー)を得るに至りました。

こうして、レイキのアチューンメント法、レイキ療法の伝授を開始しました。

臼井氏は5年間で21人の師範(現在のレイキティーチャー・レイキマスター)を育成しました。

その後、全国を巡行、臼井式霊気は全国を席巻することになります。

享年62歳、広島にて客死。

 

臼井氏よりアチューンメントを受けた師範のうちの一人、海軍大佐であった

林 忠次郎氏(はやし ちゅうじろう1880~1940)は海軍退役後、レイキ治療所を開業されます。昭和6年、「林霊気研究所」が設立されました。

9年間に13人の師範及びサードプラクティショナーを育成します。

 

林氏より アチューンメントを受けた 高田はわよ さん(たかた はわよ1900~1980)は、ハワイ・カウアイ島出身の日系二世です。

昭和10年、胆のう障害と診断され、手術のために来日しますが、林氏と出会い、レイキ療法により病気は4カ月で完治します。

その後ハワイへ帰国し、ハワイを訪れた林氏により師範認定を受け現地にてレイキクリニックを開業されました。

高田さんが育成した22人の師範により、「レイキ療法」は欧米に広まります。

現在全世界に500万人のレイキ実践者が存在します。

英国ではレイキ療法に保険が適用されたり、米国では医療系の大学でレイキ療法の授業が行われるなど、今や海外にてレイキは市民権をもちつつあります。

 

海外での広まりとは相反して、日本国内では第二次敗戦を期に衰退していきます。

日本の伝統的な民間療法も、レイキやレイキ療法もGHQにより弾圧されてしまいます。こうして、戦後国内ではレイキはなりを潜め、ほとんどの人の知るところのないものとなってしまいます。

 

1984年頃より、海外で知名度を得たレイキ療法は、再び日本へ逆上陸を果たします。

現在では、日本国内でも安全で誰でも簡単にできるヒーリング方法として知名度を得ています。